こんにちは('◇')ゞりょーへいです(^◇^)
本日行われた、竜王戦6組昇級者決定戦 「加藤一二三九段対高野智史四段」において、加藤九段が敗れたため、63年という長きにわたる前人未到の現役生活に終わりを迎えました。
最近では、持ち前の可愛らしさと、おしゃべりな性格でメディアへの露出も増え、将棋の普及に努め、「ひふみん」などの愛称で呼ばれるなど、将棋ファンに愛されていました。私も、加藤先生の可愛らしさと、誰よりも気高い将棋への姿勢が大好きでした。63年という前人未踏と棋士人生お疲れさまでした。
今日は、加藤一二三先生がいかにすごい人であったのかを伝えたいと思っています。
【記録】
加藤一二三九段(77)は昭和15年1月1日に福岡県で生まれ、
昭和29年、当時の史上最年少となる14歳7か月の若さでプロ棋士になりました。
この記録は、今年藤井聡太四段が14歳2か月でプロ棋士になるまで、62年間誰にも抜かれませんでした。
さらにすごい記録が、デビュー後から4年連続で昇段を決めて、史上最年少の18歳で棋士として一流の証しであるA級棋士になったことです。この記録は、まだ破られておらず、私が考えるに、これから先も破られることのない大記録です。
サッカーで例えると、プレミア5部のチームが、4年連続で昇格し、プレミア1部まで昇格するくらい凄いことです。
そして、その次の年には、A級順位戦において、1位となり、20歳にして、名人への挑戦権も獲得しました。
その活躍ぶりから「神武以来の天才」と呼ばれ、「名人」や「王位」などのタイトルを合わせて8期獲得するなど、将棋界を代表する棋士の1人として活躍しました。
「じんむいらい」ではなく、「じんむこのかた」と読むことには、注意です。
さらに、19世紀生まれ・20世紀生まれ・21世紀生まれの三世紀に生まれた棋士と公式戦で対局した唯一の棋士でもあります。
また加藤先生自らを除く、実力制名人(1938年以降に名人となった棋士)全員と対局経験があるのも加藤先生ただ一人です。
このことは、63年という長い年月の現役生活の内の多くを最前線で闘い続けたという偉業をより明らかにしてくれています。
【伝説】
加藤先生といえば、将棋の強さだけでなく、器のでかさと、天然さから数多くの伝説を残していることで有名です。
・NHK杯の紹介「ちょっと行動がアレですが、いえ、かなりアレですが、なんとまぁ元名人です」
・勝負どころで飛車を両手で打ちおろしたら、真っ二つに割れた。
・1分将棋中に、トイレに行った。(1分将棋とは、両対局者が1手1分未満で指し続ける対局)
・対局中、十数本のバナナを房からもがずに平らげた。
・対局前、対局室のエアコンの温度設定を22℃に設定、対局者に24℃まで上げられるが、19℃まで下げ直して対局。
・無人島に持って行きたいものと聞かれ、「羽生さん」と答えた。
・詰め将棋のヒントを求められ 「まず王手をします」と答えた。
・師匠を逆破門した。
・マイストーブを対局室へ持ち込み、対局者に向けて対局開始。
・秒読みに入っても「あと何分?」と聞く
「あと何分?」「1分です」「あと何分?」「1分です」「あと何分?」「1分です」
「あと何分?」
ついにキレた記録係。 「1分だよ!」
記録係「20秒、1、2、3」 「あと何分?」「もうありません」と時間切れで負けた。
・将棋世界連載・自戦記で「キリスト教について」 書いた。
・タイトル戦で「音がうるさい」と旅館の滝を止めさせたことがある 。
最後に、私には加藤先生が言った好きな言葉を紹介したいと思います。
加藤先生といえば、棒銀という戦術を愛した方で、普通の棋士は、自分の得意戦術を持っていても、相手が研究してきて、自分の得意戦術と相性のいい戦術を用いてくるため、戦術を変えるのですが、加藤先生は変えずに棒銀で戦っていました。
そんな加藤先生を見て、あの羽生善治三冠も
「あそこまで同じ戦法を貫かれると不気味ですらある。普通、研究され対策されることを考えると、一つの戦法をとり続けることは、一つの行き方ではあれ現実に実行する人はほとんど居ない。しかし加藤先生に限っては、全くそれを恐れていないようだ」
と尊敬の念を抱いてました。
そんな棒銀を愛した加藤先生が言った言葉が
「棒銀が弱いんじゃない、自分が弱いんです」
棒銀もこんな偉大な人にここまで愛されて、幸せだなぁと思ってしまいます。
そして、すべての負けの理由を自分の力量不足だと受け止めることができる、度量のでかさ、潔さ、勝負師としてのプライドを持つ加藤先生はやはりすごい方であると感じました。

加藤一二三九段、本当に長い現役生活ありがとうございました。
ではでは(^o^)丿